ホワイトデーのお返しは

読書のお供にチョコレートを食べていて思い出したのですが、数年前のバレンタインデーのことです。例年通り、家人にチョコレートを配り、さてお返しは何かな~、と冗談交じりに期待していることを匂わせました。それから1ヶ月後……。
その年は私が大好きなSFファンタジー小説が映画化した年でもありました。前売特典や先着入場者特典を、予備も含めて複数個確保することが出来、悦に入っていました。その私に家人の1人がホワイトデーのお返しとしてプレゼントしてくれたのが、海外出張先で買ってきたというその映画のグッズでした。カレンダーとしおりでした。とても嬉しかったです。どちらも、今でもお気に入りのグッズとして私の目を楽しませてくれています。
あんまり嬉しかったので、次のバレンタインにはすごく美味しいものを贈ろう!と思い立ち、リクエストを募りました。すると、某高級チョコレートブランドの限定品を1度口にしてみたいとのこと。もちろん次の年に贈りました。その家人だけでなく、皆に大変喜んでもらえたのですが、1度グレードを上げてしまうと元には戻しにくいものですね。喜んでもらえただけに、余計に。
何だかうまいこと乗せられたような気がしつつも、皆がにこにこしているのを見るのは私としても喜ばしかったです。それに、そういう機会でもなければブランドチョコなんて買わない家庭なので(笑)、たまの贅沢として毎回奮発しています。

やりたい事が見つからず・・・

夢中になれるものがあるのはとても良いことです。読書かもしれないし、料理かもしれない、スポーツかもしれないし裁縫かもしれない。でもそれがいつもあるとは限りません。今そんな感じです。なんだか心から時間を忘れてこれをしたいと思うものが見つからないのです。見つけようとしている時点で駄目なような気がするのですが・・・。やりたい事って自然と見えてくるものですよね。自由な時間を見つけてはそれをやったり、睡眠時間を削っては時間を費やしたり。本を読むのが好きだけど今これといって読みたい本が無いのでアウト。食べる事は大好きだけど食べ過ぎて太ったら困るので制限しないと駄目なのでこれも半アウト。作るのはちょっと面倒だし、自分で食べきれないし。友達で最近女子アイドルグループにはまってる子がいて、歌を覚えたりダンスを覚えたりとても楽しそうです。色々手は出してみるもののなんだか心底これがやりたかったの!という感覚にはなりきれず・・・。ということでそんな時はそんな時間を満喫するもんだと自分に言い聞かせてます。だらだらテレビを見たり当てもなく出かけたり、ふと友達に電話してみたり、きっとその内やりたい事が見つかるはずです。その日までのん気に過ごします。

キラキラ輝くあの思いを今の自分にも!

おまじないや占いを、女の子なら一度はした事があると思います。好きな人と両想いになりたい!テストで100点をとりたい!シンデレラストーリーの様な恋をしたい!お金持ちになりたい!などなど、子どものころ想い描いていた願いを占いなどに託した事はきっとあるはずです。自分勝手にこれができたらこうなるとか、これが叶うとか、そんな決まりを作った事もありました。例えば横断歩道の白い部分だけを毎回踏み続けていると好きな人と両想いになるとか、3ヶ月間毎日同じ時間に起きるとお小遣いが増えるとか、なんの理屈もないところから勝手に法則を見つけ出しては実行したりしていました。でも実際は欲しいマンガやおもちゃ、お菓子ががあると、トイレ掃除やお風呂掃除、洗濯物をたたんだりアイロンがけをしたりして家庭内アルバイトで資金を稼いでいた事がある子ども達は少なくないのでは?
占いやおまじないを疑わずに信じていたあの気持ちは、今でも大事だと思っています。それがあったからこそ今は学業や仕事、家事などをこなすという実世界の大人の世界を生きているんだと思います。夢を見て何かを信じるという気持ちはとても大事だと思います。大人にせよ子どもにせよ、夢のある人はなんだかキラキラして見えます。私も毎日キラキラできたらいいんですけど。

中高生向けの入門書から

古典文学の小説版を読んでいると、馴染みのない言葉に出くわすことがよくあります。言葉自体は知っていても、脳内でありありとイメージできるかというと難しい。イラスト付の注釈を読んでも物足りない。かといって専門書で知識を増やそうとすると、古文や漢文等の豊富な知識があることが前提の小難しい説明文の数々が分厚い壁になって……眠くなります。でも、今更古典文法を復習するのは嫌~……というものぐさ。
さてどうしたものかな、と首をひねりながら、いつもの大型書店の中をぶらついていた時のこと。その大型書店はテーマごとにハードカバーも新書も文庫もまとめておいてくれるので、とても便利なのです。資料を探しに行くときなどは真っ先に見に行きます。その書店でいつもの古代史コーナーに行ってみると、ついこの間まではなかった新書が1冊、ラインナップに加えられていました。
見れば、対象者は中高生。平易な言葉と豊富なイラストで説明されたその内容は、必要最低限の事項に絞ってあったものの、だからこそ徹底的にわかりやすさを追求していて、実にすばらしかったです。早速レジに持っていきました。いきなり高い壁に挑戦することないんですよね、まずは助走から。ここから徐々にレベルアップしていきたいです。

夕焼けを見に

急に夕焼けを見たくなった日がありました。原因はその時読んでいた青春小説のせい。主人公とヒロインが再会を果たすシーンの背景が夕焼け空でした。この説明だけだと、ごくごくありふれたシーンのようですけれど、その作家独特のとても軽やかで美しい筆致で描写されていて、それはそれは素敵だったんです。遠い昔に忘れてきた何かを思い出させてくれるような……。
でも私、その地方の夕焼けの名所なんて知らなかったんですよね。スマートフォンで近隣の名所を検索してみると、すぐに口コミ情報が手に入りました。車に乗り込み、ナビに位置情報を入力して出発。1人でのんびりドライブも良いものです。好きな楽曲を流しながら、鼻歌交じりに午後の国道を走っていきました。幸いにしてその日の天気は晴れ。雲1つない晴天。運命を感じました。ちょっと風が強くて車体が若干揺れたりもしたのですが、そんな障害は屁でもないのです。目指すは高台の公園。
――で、いざ着いてみるとさすがはネット上で名所とされているだけのことはありました。カップルさんこんにちは。1人で来た身にはちょっと目の毒でした。じわじわと気温が下がってくるような時間帯だっただけに、身体も心も寒い寒い。でも、それに耐えたかいあって、とても素晴らしい夕焼けを目にすることができました。自然の雄大さを目の当たりにすると、些末なことがどうでもよくなりますね。ちょっと強がりも入ってますけど(笑)。楽しかったです。

小説から得られる癒し

心理描写が巧みな小説。一体どうやったらこんな繊細で克明な描写ができるのだろう、と思わずため息が出てしまうようなそれをコレクションすることが、最近のマイブームです。日常のささいな出来事をクローズアップしたものから、世界を揺るがす大事件を八面六臂の大活躍で解決するものに至るまで、「これは」というものを特定の書棚に詰めています。
内容の大筋はどうであれ、ちょっと憂鬱でセンシティブな気分になったときに読むと、何だか救われる気がするんですね。ささくれ立った心の襞を、時に優しく撫で、時に激しく揺さぶる……そんな小説たちです。まるで登場人物たちを始めとする全ての構成要素が、私の心に寄り添ってくれているような心地になるのです。うまく説明できないのですが。
小説を読むことで様々な世界や人生を追体験できる――と言った人がいます。心理描写が巧みな小説ならば、それだけリアリティのある感情を追体験させてくれる、といったところでしょうか。
【癒し】には自分の感情を【感じ切る】ことが必要不可欠だとも、どこかの心理学の本で読んだことがあります。もしかしたら私は、物語の力を借りることで、無意識のうちに封じ込めていたドロドロしたもの――押さえ切れなくなると気分を憂鬱にさせる――を解放してもらっているのかもしれません。

書店で鍛える直感力

ちょっとした待ち時間に小説を読んでいると、つい入りこみ過ぎてしまって、あっという間に時間が経ってしまうことがあります。待ち人が来ても、うれしいというよりはちょっと残念な気分になったり……。それだけ面白い小説に出会えたというのは、とても幸運なことですね。
最近、書店にはそういう【出会い】を求めて赴くことが多くなっています。買うものを予め決めていくのではなくて、目に付いたものから中身を確認して、気に入ったら購入。予算は設けません。私の財布が許す限り、天井知らず。
「本との出会いは一期一会」と何かのライフハック記事で読んだ覚えがあります。また今度買おう、などと言って後回しにしてしまうと、いざ購入しても以前ほど気分が盛り上がっていないから、集中力が落ちてしまうのだと。だから本は「欲しい!」と思ったときに買うべきなのだと。
おかげでちょっと家計が圧迫されているのですが、欲しい本を好きなだけ買って、その日のうちに読んでしまうというのはとても楽しいですし、気持ちがスッキリします。
あくまで【欲しい】本――に絞っていくと、何の収穫もない日から、やたらと買ってしまう日まで、波が生まれます。直感力が冴えている日は後者になることが多いですね。書棚に並べられているタイトルを眺めているだけでも、何となく肌に合いそうな本が分かります。直感力を鍛えるトレーニングにもなっているのかな、と思います。

お助け料は食べ放題

どうしても期日までに仕上げなければいけない仕事があったのですが、資料を探しに行く時間がない、ということがありました。単に私のスケジューリングミスというか、ギリギリにならないと仕事に手をつけない悪癖のせいだったのですけど。
そんなときに手を差しのべてくれたのが、学生時代からの友人。後で某ホテルの食べ放題をおごることを条件に、マイクロフィルムと化した古い小説のコピー等を含む資料を探してきてもらいました。さぞや面倒くさかったろうな、と思います。その彼女の労に報いるためなら、某ホテルの食べ放題くらい安いものですよ、ははは。
仕事が終わったあと、2人で連れ立って行ってきました。テレビで何度も紹介された場所だけに、予約を取るのは少し骨が折れました。
いざ入ってみるとテンションが上がりますね!イヤなことが終わった解放感と、滅多に行かないお高い食べ放題の元を取ろうと、色々食べました。お肉も海鮮もデザートも、どれもとってもおいしかったです!
ホテルを出る際、友人からものすごい笑顔で「また行こうね」と言われてしまったのですが、暗に(お前の金でな)という無言の圧力を感じました。助けられたのは事実なのですが、次はもうちょっとお助け料を下げてくれるとうれしいです。

寺子屋の学費

先日、友人が面白い話をしてくれました。江戸時代の寺子屋の話です。時代小説や時代劇などでおなじみですね。庶民の学校です。その数、全国で約15000。驚きですね。でも、別に義務教育だったわけではないのだとか。
平均就学率は70%から86%と、当時としては世界最高水準にあったそうです。識字率が上がり、本を読める人間が増えたことにより、文学史的にも非常に面白くなってくるのがこの時代なのだとか。
開講していた人々の多くは町人ですが、浪人などの武士もいましたし、女性教師も少ないながらも存在していたそうです。彼らはボランティア精神にあふれ、入学金や授業料等の徴収に関して、あまりシビアではなかったとか。
それでも申し訳ないから……と親たちが相談し合って出していた平均の金額が、200文から300文。現在の貨幣価値に換算して、約2万円。庶民の寺子屋での話ですので、これが大都市圏の巨大寺子屋となると、また話が違ってくるそうな。いつの時代も、親は子供の教育にお金を惜しまないものなのですね。
思えば私も、何かと手を掛けてもらった記憶があります。子供の頃読んでもらった絵本や昔話は、今でも宝物です。親との思い出、プライスレス。親のありがたさについて、しみじみと語り合った1日でした。

海のない海軍から思うこと

小説家の中には、かつて軍隊に所属していた人がおりますね。その体験にもとづいた作品は、そのリアリティが胸にグサリと突き刺さります。
ところで世界には、不思議な形態を持つ軍隊があります。南アメリカの、ボリビアという国の海軍がそうです。ボリビア自体は完全な内陸国で、海がありません。スペインの植民地だった時代には海があったのですが、隣国のチリと国境地帯の領有権を争って破れた結果、内陸国になってしまったという経緯のようです。
そして彼らは、海を失った後でも海軍を解体しませんでした。海で訓練することができないので、所属軍人たちはチチカカ湖やアマゾン川の支流で訓練しているのだとか。もちろんちゃんと活動していて、密輸や麻薬取引を防ぐため、日夜パトロールに励んでいるそうです。
もしこの奇妙な海軍から小説家が生まれたとしたら?海のない海軍での体験から、どんな小説が生まれるのか?不謹慎ではありますが、もし将来的にそのような小説が誕生したなら、読んでみたいと思ってしまいました。戦争を直接体験したことがない世代ならではの感覚なのかもしれませんね。今後の世界情勢次第では、そんなのんきなことも言っていられなくなるのかもしれませんが……。